環境破壊とかいう前に正道を

環境破壊する人類は
悪者ではありません

環境を破壊しているかどうかとか

それ自体が人間目線

そもそも地球にとっては
痛くも痒くもなく

閾値を超えたなら変化が訪れるもの

その変化は時に激しく

ある種自体を壊滅的にしてしまうことも

地球にとっては最終的に帳尻があう

私たちにとっては
そうじゃないということ

だから環境破壊という言葉や

過度な保護には疑問があります

だからといって手放しで
好き放題化石燃料を使って
温暖化なんて気にしない、、、
なんてことは全くありません

ただ天の声をきいて生きる

人間目線だと立ち位置で

善悪は変わってしまう

ウクライナ問題もそう

立ち位置で違うから

報道も違う

お互いが正義を振りかざせば

ぶつかるのは当然

必要な時もあるけれど

自分の正義を他人に
押し付ける欧米のやり方では

今後うまくいかない

アフリカや途上国が
意外と欧米の賛成に回らないのは

結局見透かされているから

自分たちがやってきたことを

まだいまだに正義を振りかざしていても

その影で痛みをうけた人々のことなど考えてもいない

なんでも省エネと時代はいう

もちろん消費社会を続けることは

持続可能な社会とはならないだろう

人間目線の善悪より

仏の善悪はどうだろう?

神々というとややこしくなるので

あえて仏

殺生せず

物を取らず

嘘をつかず

などなど

人として当たり前のことばかり

正道と呼ばれることを

意外と人間はできていない

これをするだけで

どれだけ人間的に成長するだろう

社会的に成長するには

一人一人の人間の精神的成長が

これからはとても大切になるとおもう

仏教徒にとっては
正道の実践で十分

SDGsなんて横文字を使わずとも

大昔から人々が智慧を
実践してきた歴史があるから

だから私たちは今日も生きる

仏の道があることに感謝しつつ

祈りを込めて