八月九日のナガサキの祈り

今日は8月9日

長崎にとってはカタカナで
「ナガサキ」と語られる日

30年前の1991年
世界は大きく平和へ
進んでいくと思われていた

20年前の2001年 
世界は新たな脅威と出会った

10年前の2011年世界は
自然災害の脅威と
原子力の危険性を再認識させられた

長い時間の中で多くのことが風化していく
ヒバクシャは確実に少なくなっていく

ただ一つ大昔から
人々は祈りは続けていいる

祈りに何の力がありようか?
目の前の争いも止められぬのに?

それは安直だとおもう

祈りは時間も空間も超えていく

今ある争いは
今必要なこととして
起きてしまうこと

それは止まらないかもしれない

でも祈る人たちは知っています
この世界が大丈夫だということを

たとえあなたが生きている間に
成就されなかったとしても
この命は続きます

この魂、スピリッツといった方が
いいかもしれません

インドでは生まれ変わって
寺院を掘り続けた人たちが
石の洞窟内に寺院を作りました

数百年かけて数世代をかけて

最初にノミを入れた人には
完成が見えていたことでしょう

生まれ変わってまたノミをふるうことも
至極当然としてやりつづけたと

祈りが役に立たない?

人の意識だけでも
物質に影響を与えていることが
ぼんやりでもわかってきた時代

祈りの優しさは
万物に影響します

そうやって優しい念いで包み込む

誰も心配いらないと
古くからの神々も
仏教の如来や菩薩もまた同じ

完成されていると優しく微笑む

そこに姿なき彼らとしても
その気配はいつもあなたと共にあります

今日は八月九日

長崎にとっては忘れられない日


平和への祈り小さな祈りの塊が
大きな塊へと成れる日

感謝と愛のある一日を
今日もあなたの場所で